モップス(The Mops)は、かつて存在した日本のロックバンドである。日本のサイケデリック・ロックミュージック史における草分け的存在として知られる。
メンバー [編集]
鈴木ヒロミツ:ギター、ボーカル
星勝:ギター、ボーカル
三幸太郎:ベース(当初はギターだったが村上の脱退によりベースへ)
村上薫:ベース(1969年に脱退)
スズキ幹治:ドラム(解散後、浜田省吾のプロデューサーとして活躍)
概要 [編集]
1966年、埼玉で結成。結成当初のモップスはインストゥルメンタルバンド「チェックメイツ」であり、メンバーは星、三幸、村上、スズキ幹治の四人であったが、そこへスズキ幹治の実兄である鈴木ヒロミツがボーカルとして加わり五人組バンドとして本格的な活動が開始された。
1967年、ホリプロと契約。同年11月、ビクターよりシングル「朝まで待てない/ブラインド・バード」でデビュー。いわゆるグループ・サウンズ(GS)の中でも異色の存在として、コンサートはもとより、テレビ、映画、米軍キャンプなどでの演奏でも活躍。
1969年にベース担当の村上が脱退。メンバーの補充はせずに三幸の担当をそれまでのギターからベースへ変えて四人のまま活動を続けた。またこの年に東芝音楽工業へ移籍。GSブーム退潮後も吉田拓郎、井上陽水らフォーク勢に提供された楽曲をヒットさせるなどした後、1974年5月に解散。
ディスコグラフィー [編集]
シングル [編集]
朝まで待てない/ブラインド・バード(1967年11月10日/victor) … B面のブラインド・バードはモップスの代表曲の一つにも数えられる曲だが、歌詞に放送禁止用語が含まれているために後のベストアルバムなどに収録されたことが無い。なお、両面ともに作詞は阿久悠である。
ベラよ急げ/消えない想い(1968年3月5日)
お前のすべてを/熱くなれない(1968年8月5日)
眠り給えイエス/週末の喪章(1969年11月10日/Express)
ジェニ・ジェニ'70/パーティシペイション(参加)(1970年5月5日/Liberty)
朝日のあたる家/ボディー・アンド・ソウル(1970年8月25日)
御意見無用/アローン(1971年1月25日)
月光仮面/アジャ(1971年3月25日)
森の石松/まるで女の様に(1971年9月25日)
なむまいだあ─河内音頭より─/サンド・バッグの木(1972年2月5日)
雨/迷子列車(1972年5月5日)
たどりついたらいつも雨ふり/くるまとんぼ・アンドロメダ(1972年7月5日)
フーズ・フー・イン・マイ・ライフタイム?人生の香り/同英語版(1972年11月20日)
御用牙/御用牙(牙のテーマ)(1972年12月20日)
気楽に行こう/オー・ダーリン(1973年1月3日)
晴れ時々にわか雨/俺らの追分(1973年3月5日)
あかずの踏切り/生まれた時から王様だった(1973年12月1日)
アルバム [編集]
サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン(1968年4月/victor)
ロックンロール'70(1970年6月5日/Liberty)
御意見無用(いいじゃないか)(1971年5月5日)
雷舞(同10月5日)
雨/モップス'72(同5月5日)
モップスと16人の仲間(1972年7月5日)
モップス1969?1973(1973年6月5日)
ラブ・ジェネレーション/モップス・ゴールデン・ディスク(同10月25日)
イグジット(1974年7月5日)
オムニバス [編集]
ロックンロール・ジャム'70
その他 [編集]
映画出演 [編集]
女番長・野良猫ロック(1970年日活) … 劇中にて「Participation (参加)」を演奏。また和田アキ子の「ボーイ・アンド・ガール」を伴奏。
野良猫ロック・暴走集団(1971年日活) … モップス役で出演。「御意見無用」をトラックの上で演奏(メンバーではない一人がパーカッションとして加わっている)。
ドラマ出演 [編集]
ザ・ガードマン(TBS・大映テレビ)第344話「煙突の上で無理心中したヌードの美女」(1971年)
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